ESSAY

映画「シェイプ・オブ・ウォーター」に学ぶ人間らしさとは?

 

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  • シェイプ・オブ・ウォーター
  • 選択肢がない不自由さを知ると、選択に喜びが生まれる。
  • 理解者に出会うと景色が変わる。

 

映画「シェイプ・オブ・ウォーター」


2018年3月に日本で劇場公開され、話題になった作品。もう既にiTunesで先行レンタルが開始されたので、早速鑑賞しました。(2018年5月現在)

声帯に障害があり、声を出すことができないイライザは映画館の上にあるアパートにひとりで暮らしています。向かいの部屋はゲイの老人ジャイルズが同じくひとりで暮らしている。

イライザの仕事は、政府の極秘研究所の夜間清掃員。職場では黒人女性のゼルダが彼女の友人でもあり唯一の理解者でした。ゼルダは時に汚い言葉も使うけれど言葉のセンスが面白く、いつも夫の愚痴ばかりなのにイライザにとって、その話はどうやら日常に笑顔をもたらしてくれるものらしい。彼女の友人は、ジャイルズとイライザの二人。職場と自宅の往復と友人とのひと時、それが彼女の人生でした。

そんな彼女が出会ったのが神のような姿と喩えられる“彼”。アマゾンで崇められていたという謎の生き物で、半魚人のような姿。彼を一目見た時、イライザの人生が大きく変わります。出会ったその時から気になったイライザは、彼が隔離されている部屋に忍び込んでは一緒にランチをしたりレコードで音楽を聴いたりと、いわゆるデートを重ねるようになります。彼もまたイライザに特別な感情を持っているように接し、そこには確かな愛を感じました。ですが、彼はロシアとアメリカの実験の材料。ついには「殺せ」という指令が下るのでした・・・。

 

【  選択肢がない不自由さを知ると、選択に喜びが生まれる】


 

今を生きる私たちには選択肢が無限にあります。恋愛の仕方だけでもそうです。生き方にしても、自分次第で如何様にもできます。何も考えずに選ぶことができると生きやすいけれど、一度考えこんでしまうと選ぶこと(自由であること)の不自由さを生んでしまいます。このエッセイをいつも読んでくださる方にはきっと共感していただけるのではないでしょうか。

物語の舞台は1962年、米ソ冷戦下のアメリカ。日本でのうのうと暮らして居る私には、とても現実とは思い難いほど差別主義が当たり前のような時代。

ですが、今も世界の国々で差別はあるのですから、それこそ信じられません。

肌の色による差別を受けるゼルダ、LGBTの差別を受けるジャイルズ、そして声を出して話すことができないイザベラ。

同じ人間の様相をしているのに、当時の世ではどんなに純な心を持っていようが罵声を浴びせられるし、仕事も満足に得ることができませんでした。肌の色が違えば一目で跳ね除けられる。隣に座って楽しそうに話をしていたかと思えば、ゲイだと知れた瞬間に店から出ていけと追い出される。言葉が話せないイライザをサジェスティックな目で見る横柄な上司。まるで人間がランク付けでもされているかのような環境です。

極端な描かれ方ではありますが、力をふりかざす上層部の男たちは人間の見た目をしていながら非人道的な言葉、行動で観客を憎悪という闇へと引きずり込みます。

映画館で観るには、苦しくてもう少し距離を取りたくなりそうだなぁ・・・というのが私の素直な感想。

この時代と比べれば、今の世に生きる私たちは随分と自由に暮らせています。

好きではないものの中からたった一つしか選べなければ「せめて、どれなら不幸せにならないか」を考えてしまいそうです。

ですが今の時代、この国に生きる私たちは、好きなものの中からいくつでもルートを選べます。その時の頭の中は「どれを選ぶと、どんな風に幸せなんだろう?」実はそんなことを思っているはず。より理想に近い選択をしようと迷っているというのは、本当はどれを選んでも幸せになれるということです。さらに言うと、そんな選択肢に悩んでいる時点ですでに幸せなホルモンに満たされているはずなんです。

わかりやすく言ってしまえば「カレーも食べたいし、ハンバーグも食べたい。あぁ!どっちにしよう!」そう迷ったとして、どちらを食べても美味しくてお腹もいっぱいになれて幸せじゃないかということです。何ならハンバーグ&カリーという贅沢メニューも選べる時代です。もっと贅沢に、食後のデザートだって当たり前。空腹と心が満たされるまで食べてもいいのです。

随分食いしん坊なたとえ話になってしまいましたが、私たちが今生きているのはそういう時代だったなぁと、映画「シェイプ・オブ・ウォーター」に観る時代背景から学びました。

 

【 理解者に出会うと景色が変わる。 】


 

「彼を助けなければ私たちも人間じゃない。彼が私を見る時、私がどれだけ不完全かだなんて気にしない。彼はありのままの私を見てくれる。」

涙ながらに愛する彼を救おうとするイライザの訴えは愛情に溢れ、そしてそんな彼女に応えるように優しく抱き寄せる彼もまた、他に登場するどの人間よりも理想的な人間らしく見えました。

映画レビューでは、その姿こそ人間らしいと語る方が多いです。その考えも一つ。ですが、優しさや愛情ばかりが人間らしさではありません。権力を翳したり、上の者からの圧力に怯えたりその愚かさもまた、人間らしさと言えるのではないでしょうか。

人は自分で思うよりも強いけれど、他人が思うよりも弱い生き物です。圧力や不安に負けてしまう弱さは理想的ではないだけで、私たちがそもそも不完全であるという証。不完全故に、誰と比べているのか、自分自身や誰かを劣っているとか勝っているとか考えてしまう。不完全だから間違えを犯すし、選択肢に迷ってしまうのに。

その比較対象の正体は「世間」だと錯覚しがちですが、実のところ自分が感じている自分自身の不完全さ。本当はこうありたいという理想の姿が「完成されたもの」であり、人としての「正解」。つまり、誰かのせいにしているけれど、自分で自分を否定してしまう。

そんな中、言葉を発せずとも感情を伝え合うことのできた“彼”は、イライザにとって自分と同じただ一人の存在に思えたのです。友人や仕事や娯楽では埋められない見えない孤独の正体を救ってくれたのが彼であり、彼に受け入れられたことで自分が自分を受け入れられたということなのかもしれません。

自分を理解してくれる人に出会えると、世界は急に違って見えるものです。毎日歩いている景色が、どこか旅行にでも来たかのような浮ついた気持ちになるし充足感に満たされる。そして自分ができるすべてを差し出して感謝をします。たくさんの人に囲まれて、たくさんの愛を知りすぎてしまうと愛されることに慣れてしまう。けれど、世の中にたった一人でいい、「理解者」に出会えた時「人」はとても強くなるのだと思います。

たった一人を見つけたら、大切にしたいなぁ。映画「シェイプ・オブ・ウォーター」はそんな気持ちにさせてくれました。

 

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2018.05.19

Live, Love, Laugh…and Be “HAPPY”

thank you
from mineco.

 

 

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