ESSAY

“あの頃の想い”を再燃させどう生きるのか?劇団ビーチロック名古屋公演!!「おべんとう」のその先に。

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・格好つけてる“あなた”に体験してほしい、劇団ビーチロックの舞台『おべんとう』

・言わなきゃ伝えられないこと、言わなくても伝わること。

・また忘れてしまうのか。それとも感じ取ったヒントを活かすのか。

 

 

先日、沖縄を代表する劇団、“劇団ビーチロック”の舞台を見に名古屋へ行ってきました。

 

ここ最近の私ときたら、くすぶってるなぁー・・・という焦燥感と、なんとか抜け道を見つけんとする必死さから、地図のない思考迷路を彷徨い歩いていました。

 

そこにふと、以前沖縄で出会った劇団ビーチロックの名古屋公演が気になったんです。

 

気になりだしたら、とにかく名古屋に行った方がいいような妙な衝動に駆られたんです。

 

そうして美味しい匂いを辿るように、観に行ったのが舞台「おべんとう」。まさかね、これほどまでに心が温まるとは思ってもみなかったなぁ。

 

演出がとても映画的で、何度でも見たいと虜になった作品。映画と違い、生のストーリーはリピート再生ができないのが寂しくもあり、良さでもあります。すっかり舞台にはまってしまいました。

 

見終わってすぐにでも「おかわり!」と言いたくなる『おべんとう』から明日笑顔になるヒントを得て、今日もこうして言葉を綴ります。

 

 


格好つけてる“あなた”に贈りたい、劇団ビーチロックの舞台『おべんとう』



引用:劇団ビーチロック official site

 

 

リトル沖縄と呼ばれ、沖縄出身者が多く住む街、大阪市大正区での人情物語。

 

ストーリーはシンプルで、すれ違う親子の“複雑な”暮らしとそれを周りで見守る独特なキャラクターたちの“普通”の暮らし。息子はいつしか夢を見つけ、故郷を離れる時にやっと深い愛に気づく・・・。

 

とても分かりやすく正に「おべんとう」のごとく誰もが“あの頃”を想像し、自分の人生を投影しやすい設定です。だからこそ、会場のあちこちから笑い声やすすり泣く声が聞こえるような、たった一時間半で喜怒哀楽の感情体験ができる、良作なんです。

 

物語は、母親(オカン)を亡くた中学生の息子と父(オトン)の不慣れな親子関係を見守る形で、展開していきます。

 

息子のために、オトンは「おべんとう」を毎日作ることになるのだけれど、ぎこちない関係性は増すばかり。オトンは亡き妻の想いを受け継ぎ、不器用で真っ直ぐな愛情を示すも、息子はその愛情に気づけません。

 

息子の喜ぶ顔を想像して、オトンは夜な夜な料理教室に通って日を追う毎に腕を上げていく。そんな事を息子は知らずに、不信感ゆえにすれ違っていきます。

 

オトンが毎日拵えるおべんとうを、息子は蓋を開けることもないままホームレスの“おっちゃん”に渡す。結局、中学を卒業するまで毎日。

 

「おべんとう」は、日本人なら誰もが想像出来る料理。みんながみんな作ってもらえたわけではないだろうけれど、手作りのおべんとうは人間臭くて、すごくチープな存在。タイムカプセルみたいに時間差で、愛を感じられるものですよね。

 

作った人の想いが料理として詰められ、空になって返ってくることで「美味しかったよ。ありがとう。ごちそうさま。」を感じ取る。声に出さなくても伝わる、想いの交換箱です。

 

届いているだろうと疑いもしなかった想いが、一切も見てもらえていなかったことは見ていて辛くなりました。料理に携わる者としては、せめておべんとうが捨てられなかったことに救われました。

 

込められた想いの受け先は違えど、別の命を繋いでいると知れば、捨てられてしまうよりもずっとずっと傷は軽症になります。「おべんとう」を捨てないというのは、息子が純で優しい子だという証拠。だからこそ彼の表情に、また胸がきゅぅっとなってしまいます。

 

それぞれの想いを聞きながら、ただ黙って見ていることしかできないことにズキッと心が痛かった観客は、私だけではなかったはず。

 

調度この日は、食の修行を共にした仲間と観劇に行ったため、道中はずっと食についての話をしていました。

 

「私さ、結局人に尽くしたいだけなのかもしれない。ちゃんと顔の見える相手の喜ぶ顔を想像して作る料理は本当に幸せだよね。」

 

生暖かい風と冬の夜の寒さが混じる地下鉄のホームでそんな話をしていました。料理で世の中面白くしてやろう、みたいな若者特有の熱量があった“あの頃”を思い出しながら。

 

だから作中オトンが息子に読む手紙に同じことが綴られていて、思わず涙が溢れてしまいました。自分の中にもオトンのような確かな「人間愛」を見つけたような気がして嬉しかったんですかね。

 

その日は深夜まで、どうしたら食べる人も作る人も幸せな料理が作れるだろうか、仲間と真剣にバカ笑いしながら語りました。

 

他の皆さんは観劇後、どんなことを思ったのだろうか?なんて想像を膨らませて。

 

きっと、また再々々々?公演があるはずだ!その時に、ぜひ生で彼らの人生を見届けてほしい。そんな願いも込めて、結末はここには書かないでおきますね。

 

ただね、エンディングの映像演出とラップがとんでもなく涙腺を誘うことは、知っておいてくださいね。涙を流しながら「おかわり、いいですか?」他に言えることはないくらい素敵な出会いでした。

 

 


言わなきゃ伝えられないこと、言わなくても伝わること。


 

人の本心を知るのは難しいものですよね。私たち人間は、どうしたってロボットのようにコピーアンドペーストで伝えることはできないんです。それなのに、不信感という壁を作り、次第に格好つけたり、見下したり。価値観の違いにかこつけて口を閉ざし、聞く耳も閉ざしてしまうことがあります。すると、その壁はどんどん厚みを帯びるばかり。

 

「あー・・・本当はこんなことを言いたいんじゃないんだ。」心がそう言っても口から発される言葉は、どうしてか鋭い。

 

誰でもそんな苦い経験がありますよね?困ったことに、私たちはその時には気づけなかったりします。渦中にいると、自分の心を守らねばどうにかなってしまいそうで、気づく力をシャットダウンさせてしまうんですね。

 

何を考えてる?どう思っている?そういうのはやっぱり顔を見せ合って言葉のコミュニケーションがあったほうが解りやすいですが、沢山の会話をして、沢山の時を共有しても、それでも尚伝わりきらないことも沢山あります。

 

でもね、それだってコミュニケーション。傷つけたり、傷つけられたりすることも、すごく人間らしいなぁと後になればちょっぴり楽しんでいるのは、少しおかしいでしょうか?

 

自由研究のテーマを決めるように「◯◯さんとは!」と思うと、コミュニケーションの困り事もどことなく面白くなってしまうんですね。

 

時々伝わりきらないことがあるからこそ、期待と想像を上回るほど相手が理解してくれていたり、喜んだりしてくれた時には最高のハッピーを感じられる。いい意味で、ちょっとおバカさんになってみれば案外どんなことも楽しめちゃうものです!

 

だから結局は、全部を口に出して伝えなくてもいいんだよなぁ〜と思うんです。

 

仲間や友人、恋人、親しい人たちとは「ありがとう。美味しかったよ。ごちそうさま。」くらいは、言わなくても以心伝心できる関係性になれるといいよね。

 

 


また忘れてしまうのか。それとも感じ取ったヒントを活かすのか。


 

私たち夢追い人は、目には見えないけれど心の中に見えている景色があります。それを実際にこの目でも見ようと、草をかき分け、どこだ?ここか?と開拓しているんです。槌の子やネッシーのように、シルエットを頼りに、実際に見た人がいないをものを探して先に進むようなものです。

 

この先に、思い描く「何者か」になれる見込みはあるのか、それとも結局は何者にもなれず夢を忘れた大人になってしまう方が楽なのだろうか?そんな葛藤もあります。

 

それでもやっぱり、胸が熱くなるような体験をすると「本当はこうしたい」という想いが再燃するし、感動してしまうんです。

 

ただ、どんな体験をしてもいつもの日常に帰りしばらくすると、また火は消えかけてしまうものです。

 

「あの熱量はどこへ行ったのか?」誰も気付かぬうちに、あの時感じた想いは“普通の暮らし”にかき消されてしまいがち。

 

それは他人のエンターテイメントの中に「お邪魔します。」と遊びに行っただけだからです。熱い思いを感じるだけでは、何も変えられないんです。

 

本当の良作とは、体験した後に行動が変わるものだと言われます。有意義な時を過ごしたのなら、提供してくれた方々へのリスペクトの意味でも、“普通の暮らし”を変えてみないとね。

 

さあ、2019年ももう2月に向かっています。「今」と「先」に夢を再燃させ、どう生きましょうかね?

 

皆様の明日が、笑顔に恵まれますように。
ここまでご覧いただきありがとうございます。

 

劇団ビーチロックの今後の公演はこちらでチェック▼
劇団ビーチロック official site

 

 

2019.01.16

Live, Love, Laugh, and…Be “HAPPY” .
Thank you

Mineko Koyama

 

 

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